村山が震災で2000人を殺したという話が出てくることこそ震災が風化した証拠

未だ村山が2000人を殺したという話が出てくることが、事件の風化の証明なのだなと思ったりしています。
前もって言いますが、自分は村山の判断の遅れが100人もしくは200人を殺したというなら否定はしません。
そして、その100人、200人が一人一人かけがえのない命であったことは疑いもないことで、人数によって村山の責任が軽くなるなどとは思ってはいません。

地震発生から、村山の防災出動命令まで約4時間
この4時間の遅れで2000人が死んだとするなら、4時間で2000人が救えたということになるでしょう。
自分は100人、最大でも200人までが限界ではなかったかと思っています。

それを以下のブログにコメ凸した中から抜粋して考えを表してみます。
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid273.html

 ちょっと長くなるけど、当時のビデオテープや書籍・新聞を参考に作成された「阪神大虐殺の記録」から引用。
17日


05:46 地震発生

05:50 陸自中部方面航空隊八尾基地、偵察ヘリ発進準備。

05:50 第三十六普通科連隊(伊丹)営舎内にいた隊員約三百人による救援部隊編成開始

06:00 CNNワールドニュース、トップニュースで「マグニチュード7・2。神戸で大地震」と報道。

06:00 村山起床。テレビで震災を知る。

06:20 テレビで急報を知ったダイエー中内功社長出社

06:30 百里基地、偵察のためRF4発進検討するも断念。4ヶ月前北海道東方沖地震でRF4が墜落、社会党の追及で当時の指揮官が更迭されたため。

06:30 中部方面総監部非常勤務体制

06:30 村山、園田源三秘書官に、電話で、状況把握を指示(園田本人は「そのような事実は無かった」と否定)。

06:30 警察庁地震災害対策室を設置、大阪、京都、奈良などに機動部隊の出撃命令を出す

06:35 第三十六普通科連隊(伊丹)、倒壊した阪急伊丹駅へ伊丹署の要請で先遣隊出動

06:50 陸自第3特化連隊(姫路)非常呼集

07:00 スイス災害救助隊、在京スイス大使館へ、日本政府への援助申し入れを指示

07:00 金重凱之秘書が国土庁防災局に電話で状況確認し、村山に「特にこれといった情報は入っていない」と報告。

07:14 陸自中部方面航空隊八尾基地、偵察ヘリ1番機発進。高架倒壊等の画像撮影。出動要請がないため訓練名目。

07:30 村山総理に一報

07:30 陸自第3特化連隊(姫路)、県庁へ連絡部隊発進

07:35 第三十六普通科連隊(伊丹)、阪急伊丹駅へ48人応援

07:50 石原信雄官房副長官川崎市の自宅を出発。

07:58 阪急伊丹駅救助活動48人

08:00 官邸、防衛庁に、派遣要請がきているか確認するも、要請無し。

08:00 ダイエー地震対策会議。中内社長、販売統括本部長にヘリコプターで神戸へ飛ぶよう指示。おにぎり、弁当など1,000食分と簡易衛星通信装置を搭載。

08:11 徳島教育航空郡所属偵察機、淡路島を偵察。「被害甚大」と報告。

08:20 西宮市民家出動206人

08:20 貝原知事、職員の自動車で県庁到着。対策会議開くも派遣要請出さず

08:26 総理、官邸執務室へ(予定より1時間早い)。テレビで情報収集。

08:30 セブンイレブン災害対策本部、被災地店舗へおにぎりをヘリ空輸開始。

08:45 村山「万全の対策を講ずる」とコメントを発表。

08:50 韓国政府、「日本関西地域非常対策本部」(本部長・金勝英=キム・スンヨン=在外国民領事局長)設置

08:50 石原信雄官房副長官到着。「現地は相当酷い」とコメント。

08:53 五十嵐広三官房長官「非常災害対策本部を設置し小沢潔国土庁長官を現地に派遣する」と発表。

09:00 呉地方総監部、補給艦「ゆら」が神戸に向けて出港。

09:05 国土庁が県に派遣要請促す

09:18 村山、廊下で記者に「やあ、大変だなあ」、視察はしないのかとの質問に「もう少し状況を見てから」とコメント。

09:20 総理国土庁長官、月例経済報告出席。地震対策話題無し

09:40 海自輸送艦、非常食45000食積み呉出港

09:40 神戸消防のヘリコプターが上空から市長に「火災発生は20件以上。市の西部は火災がひどく、東部は家屋倒壊が目立つ」と報告。市長は直ちに県知事に自衛隊派遣を検討するよう電話で要請。

10:00 村山、月例経済報告終了後廊下で、記者の「北海道や東北と違い今回は大都市での災害だが、対策は?」との質問に「そう?」とコメント。

10:04 定例閣議。閣僚外遊報告。非常対策本部設置決定。玉沢徳一防衛庁長官には「沖縄基地縮小問題で(上京してきている)大田昌秀知事としっかり協議するように」と指示。震災についての指示なし。

10:10 兵庫県知事の名で派遣要請(実際には防災係長が要請。知事は事後承諾)

10:15 中部方面総監部、自衛隊災害派遣出動命令(村山の指示で3000人限定。到着は2300人)

10:25 姫路の第3特科連隊の幹部2人がヘリコプターで県庁に到着、県災害対策本部の会議に参加

11:00 村山、廊下で会見。記者の「総理が現地視察する予定は?」との質問に、「状況見て、必要があればね」。「総理は行く用意はありますか?」、「そうそう、状況を見て、必要があればね」。

11:00 村山総理、「二十一世紀地球環境懇話会」出席。「環境問題は国政の最重要課題の一つとして全力で取り組んでいく」と発言。

11:00 京都機動部隊が兵庫入り。

11:15 村山、廊下で記者に、山花貞夫社会党委員長の新党結成問題に関して、「山花氏は自制してもう少し話し合いをして欲しい」とコメント。

11:15 非常対策本部設置(本部長・国土庁長官の小沢潔)

11:30 非常対策本部第1回会議

11:34 五十嵐官房長官、記者に社会党分裂問題を聞かれ、「それどころじゃない」と発言し首相執務室入り。現地で被災した新党さきがけ高見裕一からの電話情報を元に、村山に事態の重大さを力説。

12:00 新党さきがけ高見裕一、現地から官邸に電話。自衛隊増員要請するも、村山「高見は大げさだ」と冷笑

12:00 政府与党連絡会議中、五十嵐官房長官が村山に「死者203人」と報告。村山「え!?」と驚愕。

12:48 淡路島・一宮町役場の中庭に自衛隊ヘリ三機が到着。隊員がオートバイで被害調査を実施。

13:10 渋滞に阻まれていた自衛隊第三特科連隊215人が到着。救助活動を開始。

13:30 防衛出動訓令発令検討するも断念

13:30 大阪消防局隊応援部隊到着

13:50 社会党臨時中央執行委員会が「党内事情より災害復旧を優先すべき」として、山花氏の離党届を保留。

14:07 村山総理、定例勉強会出席

14:30 小沢国土庁長官、現地空中視察へ

15:36 河野洋平外相「総理は人命救助と消火に力を入れるようにといっていた。総理が現地に行くのは国土庁長官からの報告があってからのようだ」とコメント。

15:58 村山、廊下で記者の「改めて聞くが、総理が現地に行く可能性は?」との質問に「明日、国土庁長官から現地の状態を聞いてな」とコメント。

16:00 村山総理、地震後初の記者会見。「関東大震災以来、最大の都市型災害だ。人命救助、救援の万全を期したい」、「近く現地入りする」(初めて現地入りを明言)。5分で終了。

18:00 補給艦「ゆら」が姫路港に入港。緊急物資を積載し、神戸に向かう。

19:50 兵庫県知事、海上自衛隊災害派遣要請

21:00 兵庫県知事、航空自衛隊災害派遣要請

筑紫「温泉」発言。火災の猛烈な業火で立ち上る煙を見て。

こちらは途中からですが、コメント欄の議論です。
当時、違う名前で投稿してたので、名前を統一させてもらってます


tano13さんへ
即死率60〜65%説って知ってます?
東京都防災局はその数字を採用しているそうですよ。
これによれば約6000人の犠牲者の内、地震発生直後にがれき等の下敷きになっても、救出信じ生存していた人達は約2000人となります。
都知事はちゃんと防災局の資料をしっかり読んでいるということなんですな〜

それと佐々氏の発言を重要視してますが、同氏は選対本部長。都政に直接影響を与えるわけではありませんから。副知事にでもなるというなら話は別ですが・・・

あと被災者救出とトリアージはイコールなので、
それに従事する自衛隊が関係ないと論ずるのはどうなんでしょうかね?

ともあれ震災による犠牲者を減らせるかどうかは、
発生後24時間以内にいかに1時間でも速く多くの被災者を発見し救命できるかにかかっている。貝原氏や村山氏がイデオロギーかまけて災害派遣要請を躊躇したのは事実。
にもかかわらず言葉尻を取り上げて批判とは情けない。
じぶらる | 2007/04/12 02:24 PM

るちあさん:
貴重な体験談をありがとうございます。
>あちらこちらと出火し、確か2、3日かけて延焼していったはずです。
そうでしたね。確か地震による出火なのか否かで、補償でもめたケースもいくつかあったと記憶しています。私は震災から半年ほど経って神戸市に行ったのですが、まだまだ粉塵がすごかったのを覚えています。アスベストのことはこれまで全く思いもしませんでしたが、言われてみればその心配はありますよね。神戸市はそのへん少しも考えてないのでしょうか。

じぶらるさん:
フォローありがとうございます。
>即死率60〜65%説って知ってます?
>東京都防災局はその数字を採用しているそうですよ。
探してみました。これでしょうか。
http://www.tokyo-machidukuri.or.jp/machi/vol_34/m34_08.html
くっくり | 2007/04/12 10:48 PM

引用

当時筑紫や村山、プロ市民どもがばら撒いた「犠牲者の多くは直後に圧死で死んだので、村山や貝原が自衛隊派遣を遅らせたのは犠牲者増加の原因ではない」という虚言は、テロ朝の「阪神淡路大震災10年目の証言 あの日 官邸応答せず」(05年1月16日放送)で既に論破されている。その中で当時兵庫県の監察医であった西村明儒助教授(横浜市大学)は、

「当時専門医が検死した遺体はわずか2400。4000近い遺体は死因は愚か死亡時間も特定できない」
「圧倒的に多い死因の一つは圧死による即死ではなく(煙での)窒息死だ」

と証言している。死体検案書も混乱の中で、ろくに検死もせずに80.5%が地震発生時刻である「午前5時46分」または「5時50分」に「圧死」で死亡と書かれた。
自衛隊などによる救出で助かった可能性はとの質問に対しても、

「あった。炎が来た時はまだ生きていた。一酸化炭素を吸って血液が化学反応し鮮やかな真紅になった完全炭化死体が多くあったことが、そのことを証明している」

と述べている。村山総理と貝原知事は、犠牲者を生きたまま焼き殺したのだ。
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=312071&log=20070410
福原 | 2007/04/13 12:09 AM

で、自分のコメントになります




自分も当時、東灘区で被災しました。
たしかに火事はありましたけど、るちあさんのおっしゃる通り点在してる感じで、酷かったのは長田区のほうですよね。
自分は山側だったので倒壊とかの被害は免れましたが2号線沿いは軒並み倒壊していたことを覚えています。
3日目で神戸を抜け出して、実家に避難してましたが、1週間後ぐらいに日赤病院で救急車のナビゲータのボランティアをしていました。
救助する側の混乱状況や救出時の逸話を聞いたり見たりしています。
あくまで一面的ですけど。

あげあし取りと言われるかもしれませんが、しつこく主張させてもらいます。
http://www.bousai.go.jp/kensho-hanshinawaji/chosa/sheet/010.pdf
こちらの資料では、17日中に陸上自衛隊が3300人、海上自衛隊が1142人出動したとあります。
海上自衛隊の出動が9:50に呉港を出航とありますから、問題の4時間は3300人で考えます。
3300人で2000人を救うのは無理がありませんか?
一人頭1.6人、約2人です。それも4時間で。

http://www.bousai.go.jp/kensho-hanshinawaji/chosa/sheet/008.pdf
一方警察ですが、こちらは17日中に13000人が出動とあります
http://www.bousai.go.jp/kensho-hanshinawaji/chosa/sheet/009.pdf
こちらは消防。17日中の記述は見つけられませんでしたが25日までに2000人とあります。

http://www.bousai.go.jp/kensho-hanshinawaji/chosa/sheet/012.pdf
で、こちらに、警察、自衛隊、消防のトータルの救出実績があります
1月17日:3185人。

警察、自衛隊、消防の約19000人が懸命になって救助して3185人しか救えなかったんです。
それを、自衛隊なら4時間で2000人救えたなんて言うことは、あのとき救助にあたってくれた、自衛隊を含めるすべての人を愚弄するようなものです。
と自分は感じたのでこちらに書き込ませてもらいました。

http://www.geocities.jp/disasterreliefoperation/hannkatu1.html#Q1B
『今次災害で生き埋めとなった人は164,000人と推定され、そのうち要救助者は35,000人、警察・消防・自衛隊の救出者数は7,900人で、これらの組織によって救出された人の内半数はすでに死亡していたとされる。』
(7900人は死亡者数も含めてでしょう)
こういう未曾有の大災害だったわけです。警察、消防、自衛隊、医療関係者、それぞれが与えられた条件の中で東奔西走して、それでも救えなかったのが6434人なのです。
もちろん、あのときこうしていればよかったという反省はあるでしょうし、自衛隊にすぐさま支援を求めるべきだったということは間違いなくその中に入るでしょう。
そして、貝原を首長においておくべきではなかったのも反省のうちだと自分は強く思います。なんで今だに首長にいるのか不思議でならない。
でも、4時間で2000人救えただの軽々しく言えることではないはずです。

6434人中2573人が生きてたことを証明できたからなんなんです?
生きていたのなら、それを救い出すためにどうすれば良かったのかを真剣に考えることこそ大事なのではないですか?

それを自衛隊の空白の4時間で埋められると石原さんが本気で思っているならこれは薄ら寒いです。


ちなみに、自衛隊の救出実績は伏せさせてもらいました。
調べてみて下さい。今回の参照元にあります。

それでもなお、4時間で2000人が救えたと主張される方がおられるのでしたら、その根拠を教えて頂きたい。
tano13 | 2007/04/14 12:25 AM

>生きていたのなら、それを救い出すためにどうすれば良かったのかを真剣に考えること

 派遣要請の遅れより、「2000人は救えなかった」に拘る方が、「真剣に考える」って冗談書かれても笑えません。

 被災直後の実態を理解していれば書けない投稿をしておいて、被災者を強調してもネ〜。

 ここは、真剣に考えて投稿している方たちに譲って、別のブログに行って下さい。
福原 | 2007/04/14 01:39 AM


すみません。
自分としては、貝原氏や村山氏や筑紫哲也を擁護したくて今まで述べていたのではないのです。
自分は、避難所にいるよりも赤十字病院にいるほうが長かったため、あのとき1つ1つの命を懸命に助けようとしていた人たちのことが頭にありました。
本当に1つ1つの命に懸命だったのです。
それを簡単に2000だと言ってしまうことに対してハラが立ってこういう書き込みをしてしまいました。
それに、地位のある方の発言した数字が一人歩きしてしまうことは往々にしてよくあることで、それはくっくりさんも理解して頂けることかと思います。

震災で知人を亡くされた方には、自分の主張は「自衛隊は即出動してても知人は救えなかった」と聞こえてしまうかもしれません。
そう聞こえてしまいましたら、申し訳ありません。
tano13 | 2007/04/16 04:54 PM



自分の200人救えたかもという根拠は
自衛隊3300人を10人一組の部隊に分けて330組
1組が4時間で1人救えたとして330人

但し、これは330組すべてが1分もロスもなく生存が確実な生き埋め現場に展開でき、さらにその生存者を病院に送り届け、またロスなく次の現場に行く
ということを4時間連続で続けられたらという仮定です。

実際には、まず生き埋め現場を発見することから始まり、そこへ部隊を派遣すること、助け出す手段検討、重機が必要なら重機の手配、助け出した後の病院への運送。
こうしたことを混乱した現場の中で迅速かつ正確にミスなく判断、行動して初めて200人助けることも出来たかも、というレベルです。

人員を素早く展開するためにもヘリコプターは欠かせません。
CH−47という60人ほど乗れ、重機も運べるヘリが自衛隊には配備されていますが当時何機配備されていたか分かりません。
現在16機配備ということですが、当時10機あったとして現場まで15分としても3300人を現場に届けるまで5往復しなければなりません。
相当に訓練を積んで、1時間で展開ということになるのではないかと思います。


以上のことは、出来なかったであろう理由を積み上げるために言いたいわけではありません。
自分が大切だと思うことは、2000人救えたかもということがウソか本当かという議論ではなく、あの時あと2000人を救うためには何をすればよかったのか?
それを考え続けることが、過去を教訓として生きることではないかと思うわけであります。


改めてご冥福をお祈りします。