とりあえず最後の返信

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20070912/1189634875
対談ありがとうございました。
今回はお休みでかつ楽しめたということで、続きも期待できるのかなということで振りだけしておきます。

 この問題はhamachanさんがすでに解いていることがわかったのですが、ようはtano13さんがご指摘されるように「不信感をベース」ということが核なので、労使調停ができればそれで終わりというのはあります。つまり、どうもホワエグ自体の問題ではないと理解してよさそうだ。

ですね。ホワエグを議論する以前の問題として不信感がうんこの山になっている。それを取り除かないうちに、うんこの山から「労働のあるべき姿」とかを腕をつっこんで取り出そうとするから、うんこまみれになるわけで。
そのへんを桝添さんあたりが理解出来てないのかなぁ?と不思議に思うわけです。

それから例の発言のことですが
http://www.mhlw.go.jp/kaiken/daijin/2007/09/k0911.html
皮肉だったそうですが、政治家は言葉が商売のタネなのに、こんなうんこが飛んできそうなネタに皮肉は不用意すぎでしょう、というのが感想です。
ちなみに、桝添大臣については、お母さんを介護して苦労したという話は知ってましたし、政治経済に明るくて、介護制度を理解でなく体感しているという意味で期待していたんですけどね。

あと「この問題はhamachanさんがすでに解いている」というのがよく分からなくてちょっと調べてどの箇所なのか分かりませんでした。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/20centurysystem.html
これなんか読んでみたのですが、なるほど延々と労使交渉は続けられていて、ホワエグ問題なんかはその1ページにしか過ぎないんだなぁとか

 高齢者雇用政策はこれほど明確な方向転換はできず、65歳までの定年引き上げや継続雇用を求める内部労働市場志向の政策が引き続きとられるとともに、年齢に関係なく能力に応じて働くことのできる社会を目指す外部労働市場志向の政策にも比重が置かれるようになった。これと同時に、雇用における年齢差別の問題は労働省を超えて取り上げられ始め、経済計画でもその検討が明記されるようになった。その結果、2001年の雇用対策法改正に、労働者の募集及び採用についてその年齢にかかわりなく均等な機会を与える努力義務が盛り込まれ、2007年にはこれが義務化された。

これ知らなくて驚きでした。勉強になります。
でも、リクルートとかではまだ「35才位まで」という記述はまだありましたね。


当初、コメント欄で書かれたとき、また、引っかけかなという疑心はありましたし、引っかかって晒しになってもいいやとも思ったのでしたが、懸念でした。tano13さんのお考えの態度というか、そういうと僭越ですが、とても誠実に思われます。

ありがとうございます。基本的に知識クレクレ厨ですので、うpして下さる方はネ申なわけです。それを誠実と言われると気恥ずかしい。


  逆に例えば⇒萌え理論Blog - パンがなければケーキを食べて、残業代が出なければ帰ればいい

当初のエントリから書き換えられているが、id:finalvent氏の主張は、舛添厚労相は母親を介護したから、イデオロギー云々に関係なく尊敬できる、というものだった。でもそんなの関係ない。桝添氏の人格批判をしているのではなくて*1、ホワイトカラー・エグゼンプション制度について、「家庭だんらん法」に言い換えを指示するという、極めて表層的でその場しのぎの対応を取ったから、批判されているのだ。しかし、finalventはまるでそれが理解できない*2。いわゆる「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」*3ではないが、「残業代が出なければさっさと帰ればいいじゃない」とでもいう態度の表明は、さすがアルファブロガーの余裕である。


 こういう誤解には応答不能です。

「さすがアルファブロガー」とかあたりに嫉妬心がうっすら見えてるような気がします
こういう方との接触というのは気が滅入るでしょうね。自分なんかはアルファブロガーなんかなりたくねー!と思いますが。

ただ、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」という理屈の出し方には賛同出来る部分もあるのです。
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2007/01/post_7251.html

 残業代が支払われないならそこで仕事を止める。労働環境が劣悪ならその職場を辞める。それでいいのではないかと私などは思うのだが、現実にそれらを可能にするためには自由な労働市場が前提になるということかもしれない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E3%83%9B%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%82%B0%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%97%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3#.E6.AD.A3.E7.A2.BA.E6.80.A7.E3.81.AB.E3.81.A4.E3.81.84.E3.81.A6

"「使用者と合意した成果」とはいっても、事実上使用者側が一方的に決める成果基準を労働者側が拒否できるわけも無く、また成果の達成を判断するのも使用者側であるため、” これは職業選択の自由憲法で保障されている以上、甘え以外の何物でもないと思いますが、すべての労働者に適用される制度でないということを忘れていませんか。

ここで言うとこの「仕事がいやなら辞めればいいじゃない」というのは「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」という理屈と同じでしょうという感覚です。

自分は団塊ジュニア世代でして、就職氷河期に就職活動をした世代です。
自分に4人転職した友人がいますが、二人は労働環境が若干良くなり、二人は逆に労働環境が悪くなってます。もちろん懐具合を聞いてる訳じゃありませんが、良くなった二人も給与面では低くなっている様子です。
自分も転職し、以前のきつい環境ではなくなりましたが、給与は人に恥ずかしくて言えるレベルではなくなりました。

オレソース的にはこの10年のうち転職が成功する確率はかなり分が悪い。
そこに、たとえ善意からのアドバイスといえど「仕事がいやなら辞めればいいじゃない」という言葉は受け入れられるものではないです。
自分の感覚では、転職するということは、無職という地獄の釜の上を綱渡りして次の地に移動するもので、かつたどり着いた地が前よりひどい環境である可能性が高い行為なのです。


これはfinalventさんが言うところの土台、オレソースの土台の話です。
finalventさんの土台は推測ながら、「転職なんてものは、ちょっと覚悟を決めれば簡単に出来るよ」的な実体験、「めしのタネはどんな時でもついて回る」という楽観主義、「職がなくてのたれ死にするのも、まあ覚悟してる」的な諦観、のようなものが感じられます。
その土台からなら「仕事がいやなら辞めればいいじゃない」という理屈は理解出来ます。

ただ、それはfinalventさんの処世術としてなら、人それぞれだなとも思うのですが、その土台をベースにして(って言い方ヘンですが)制度設計をされると待ってくれということになります。

人が自由に職を辞められるには「現実にそれらを可能にするためには自由な労働市場が前提になる」ということですが
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20070201/118220/

濱口 そうなんです。皆さん、誤解しているんですが、そもそも米国には労働時間規制がありません。何時間以上働かせてはいけないというものはない。だから「36協定」みたいなものもない。ホワイトカラーとブルーカラーの違いもない。単に週に40時間を超えたら、50%の割り増し手当てを払えという規定があるだけです。健康も命も自己責任の国ですから。嫌ならさっさと辞めるだけの話です。逆に差別的でない限り、理由がなくても自由に解雇できる。米国はそういうふうに物事が回っている国です。


このアメリカの自由っぷりにちょっと驚いて、ではアメリカでは過労死などという状況は起こりえないのか?と思って「過労死 アメリカ」で検索して、以下の記事を見つけました。
http://homepage2.nifty.com/karousirenrakukai/22-02=karhoshi&karojisatsunonichibeihikaku(morioka).htm

  今日、アメリカのホワイトカラーにとって、オフィスはまるで途上国にある多国籍企業のスウェットショップ(搾取工場)のようになっている。そのことを明らかにしたのが、ジル・A・フレイザー『窒息するオフィス 仕事に強迫されるアメリカ人』(岩波書店、2003年、原題はWhite-Collar Sweatshop)である。この本によれば、アメリカの全労働者の12%、約1,500万人は週に49時間から59時間働いている。全労働者の 8.8%、約1,100万人は週60時間以上働いている。
  インテルに勤める2人の小学生の父親であるシングルの男性は、子どもに朝食を食べさせて7時頃には出勤し、いったん5時に帰り、夕食後子どもたちを寝かせるとオフィスに戻って夜中の1時頃まで働く。金融業界では新入社員に家に帰って寝ることができない場合にそなえて、着替え一式と歯ブラシを職場に置いておくよう指導している企業もある。
  問題は労働時間の長さだけではない。レイオフで人員削減が絶えず行われるなかで、仕事量が増え、ジョブストレスが強まって、肉体的、精神的な健康障害が深刻になり、心臓発作、ストレス死、自殺などが広がってきている。  (もりおかこうじ 関西大学

自由な労働市場であるアメリカでも、過労死は起きている。
このアメリカの過労死を食い止めるためには、さらに自由な労働市場にするべきなんでしょうか?
人は自由に辞める権利はある。でも、いやでもつらくても辞めることが出来ない心理状況に追い込まれる人は必ず一定数いることを前提に制度設計はされるべきなんではないでしょうか?

「仕事がいやなら辞めればいいじゃない」という理屈が正しいのなら、そう思わない人にそれを奨励していく運動ぐらいは必要かと思います。

職業選択の自由憲法で保障されています。責任がとか、周りに迷惑がとかを気にしてはいけません。あなたの健康を第一に考えましょう。雇用主の不当な要求に屈せず、辞表を書く勇気を! by安部晋三
というようなポスターを日本中に貼るとか・・・というのは冗談が過ぎますが
急に思いついたので、すみません。

まあ、finalventさんは「労働時間の上限の規制は必要」とお考えと思いますがしいて言わせてもらいました。


ですが、私の認識では、問題は「流通」にあると理解しています。もちろん、「流通」なのかということや、R30さんが否定した他の意見を評価する必要があります。

 なので、

ホワエグが「「企画、立案、研究、調査、分析」の5業務に限定」で「年収900万円以上」の人たちに適用されてどんなふうに「飲食」「商業」「生活支援サービス」業界の生産性の向上になるのか、よく分からんです。

 については、やはり土台の了解が先行します。


次回がありましたら、その土台をお教え下さい。


ただ、ちょっとニヒリズムっぽいのですが、グローバル化が進めば、実際には、現在ホワエグを騒いでいる人達が特権階級のようになり、さらにひどい状態に置かれている人の問題が押しつぶすだろうと思います。

NHK特集のの総務や経理アウトソーシング、見たわけではないですがネットで見るにすごい時代になってしまったなと思いました。
この問題は、ホワエグを限定全解除して導入しても、ちょっと解決不可能なんでは?と思ってます。
ホワエグで個々の努力を期待するより、人民元の固定相場をやめさせるくらいしか手がないんでは?とシロウト考えで思ってます。
それで、やり過ごせたとしても、今度はインド、アフリカ・・・・
finalventさんのおっしゃる通りになっていくのかも知れません。


萌え理論Blogさん関連から、ブクマや話題がバーっと広がってるのを見ましてfinalventさんには心労をおかけした対談だったなと申し訳なく思っています。
ここから先を期待するのであれば、この話題はメールでのやりとりのほうがよいのではないかと思いました。
まあ、これから政局も大きく変わりそうですし、これ以上finalventさんのリソースを私個人のために割いて頂くのも申し訳ないので、こちらもこれで筆を置かせて頂きます。
ありがとうございました。