罪と罰(光市母子殺害事件についてのもやもや)

最近報道されている光市母子殺害事件についてのもやもやをはき出してみる。
http://fukutomim.iza.ne.jp/blog/entry/306233/
こちらを読んで。
本村さんは、ネットでこの件をやりとりされることを不快に思われているようなので、簡単にしたい。

本村さんの強靱な理性は尊敬する。自分なら1秒ともAと同席することなど出来ないだろう。
この意見陳述。この意見陳述の背後にある数万の罵詈雑言を押さえ込み、これほどの立派な文章を書ける人はただただ尊敬するしかない。
もしAが逆の立場だったなら、一文字たりとも書くことは不可能だと思う。

これほどの人が市井で普通にまじめに暮らしてきただけというのに、なぜこんな理不尽な目に遭わなければならないのだろう。
もしこれが天の与えた罰だとするなら、本村さんはどんな罪を犯したというのか
それでも、本村さんは、「その殺害現場になぜ自分はいなかったのだろう、せめて不用意に玄関を開けるなと言えなかったのだろう」といった、自分の小さな罪を拾い集めて、妻子を奪われ、それを後悔し続けるという大きな罰を背負って生きてゆくのだろう。

この本村さんの罪に対する罰と比較して、Aの犯した罪に対する罰はどの程度が妥当だと言えるのだろうか?

罪を認識するということは、それ自体が罰になる。
「なぜあの時、あんなことをしてしまったのだろう」という胸を掻きむしるような後悔。
その眠れないほどの後悔の地獄に本村さんは生きているのだと思う。

生きながら地獄にいる。
それがAも同じであるならば、生きて地獄を味合わせるのなら、生きることを許してもよいかもしれない。
それが出来ないならば、死んで地獄へ行かせる以外、どんな選択肢があるというのか。
万死という言葉は、もし地獄が無いのなら、文字通り1万回死んで欲しいという意味だろう。

http://anond.hatelabo.jp/20070921182214
これには反吐が出た。自分が本村さんの立場なら、比喩でなくホントに胃液がなくなるくらい吐いてたと思う。

 例えば、殺人事件の被害者遺族が、交通死亡事故の被害者遺族が受け取る死亡保険金程度(あるいは、それ以上)の経済的救済を受けられたとしたら、被害者遺族は被告の死刑をこれほど強く望むだろうか?


自分なら、妻と子が戻ってくるなら、お金など1円ともいらない。もしお金で戻ってくるなら、それに必要な金額を要求するだろう。
お金さえ払えば、遺族は死刑を望まなくなるというのか?

こういう意見こそ、本村さんがネットで不快に思うであろう意見であり、その罪の意識のなさは、Aと同質のものだろう。

あまりに人の命の重さに対する感覚が軽すぎるんじゃなかろうか?

同じ言葉をお返ししたい。

今枝弁護士のブログ
http://beauty.geocities.yahoo.co.jp/gl/imajin28490/view/20070921/1190331562
自分がもし、とんでもない犯罪を犯して、世間すべてを敵に回すようなことになったとしたら、自分はこの方に弁護をお願いしたいな、と思った。
けれど、この人が検察の立場にたったら、本村さんの立場に入れ込みすぎて、いまの検察以上にどんな手を使っても死刑に追い込むような気がする。

Aは恵まれてる。
被害者遺族に何度も諭され、こうしたりっぱな弁護士も付いてくれている。
現世での御利益は十分受け取ったはずだ。

極刑を強く望む。

またホワエグ?の話

筆を置こうと思いましたが、せっかくrajendraさんにコメントもエントリーも頂いているので、また立てました。

rajendraさんのコメントもエントリーも大筋同意します。
ただ、ちょっと違和感があったところを言わせてもらいますと

コメントより

ホワエグが適用されていようがいまいが、そもそも雇用主には労働者の健康管理の義務があります。もしもそれを怠って過労死や過労自殺となった場合、会社は遺族に相当額の賠償金を支払う羽目になるので、会社側が労働者の安全を確保するインセンティブになるわけです。


過労死のときの賠償金がインセンティブになるのは確かと思いますが、それはチキンレース的なインセンティブだと思います。

資本力も、扱う商品も、社員の能力もまったく同じな2社があったとします。
このときこの2社が競争でどちらが勝者になるかと言えば、どれだけ社員に長く労働をさせることが出来たかで決まるでしょう。
もちろん、高校野球とかで放課後1時間練習の進学校が、野球づけの私立高校に勝つという例はよくあります。
でも、この実験を100回繰り返せば、長く働いた方が勝つ傾向が高くなると思います。

経営者はキレイな言葉で言えば、社員の能力を最大限引き出すために努力を惜しまないでしょう。
結果、社員が死なないギリギリのレベルまで働かせた会社が勝者になるチキンレースゲームになると思います。

ゆえに、残業代というものは矛盾点が発生するデメリットがあっても社会に必要なルールであると思います。
自由の国アメリカでも、残業代はあるわけですし、その矛盾点を解消するために例外的に導入されているのがホワエグだと理解しています。

その点、rajendraさんのエントリーからしても承知済みのことと思います。

ただ、この点

労働者側も議論が空回りのまま押し切られるよりは、この機に乗じて恒常的サービス残業の実態を改善するために取引を試みたほうが得な気がするんですがね。

残業代とは上の必要性ももちろんですが、法で定められた雇用者が受け取るべき正当な報酬です。
サービス残業とは言葉はいいが、ようは未払い金な訳です。それは取引の材料にはならないでしょう。

のび太君がジャイアンにおもちゃを貸しましたが返してくれません。「返してよう。返してよう」とひつこく言うと
「じゃあ、返してやるから、オレのお願いを聞いてくれよ」

この取引は公正な取引と言えるでしょうか?
得をするのはいったいどちらなのでしょう?

この点、誤解があればご指摘下さい。
あと、コメントとはてすた、ありがとうございました。

とりあえず最後の返信

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20070912/1189634875
対談ありがとうございました。
今回はお休みでかつ楽しめたということで、続きも期待できるのかなということで振りだけしておきます。

 この問題はhamachanさんがすでに解いていることがわかったのですが、ようはtano13さんがご指摘されるように「不信感をベース」ということが核なので、労使調停ができればそれで終わりというのはあります。つまり、どうもホワエグ自体の問題ではないと理解してよさそうだ。

ですね。ホワエグを議論する以前の問題として不信感がうんこの山になっている。それを取り除かないうちに、うんこの山から「労働のあるべき姿」とかを腕をつっこんで取り出そうとするから、うんこまみれになるわけで。
そのへんを桝添さんあたりが理解出来てないのかなぁ?と不思議に思うわけです。

それから例の発言のことですが
http://www.mhlw.go.jp/kaiken/daijin/2007/09/k0911.html
皮肉だったそうですが、政治家は言葉が商売のタネなのに、こんなうんこが飛んできそうなネタに皮肉は不用意すぎでしょう、というのが感想です。
ちなみに、桝添大臣については、お母さんを介護して苦労したという話は知ってましたし、政治経済に明るくて、介護制度を理解でなく体感しているという意味で期待していたんですけどね。

あと「この問題はhamachanさんがすでに解いている」というのがよく分からなくてちょっと調べてどの箇所なのか分かりませんでした。

http://homepage3.nifty.com/hamachan/20centurysystem.html
これなんか読んでみたのですが、なるほど延々と労使交渉は続けられていて、ホワエグ問題なんかはその1ページにしか過ぎないんだなぁとか

 高齢者雇用政策はこれほど明確な方向転換はできず、65歳までの定年引き上げや継続雇用を求める内部労働市場志向の政策が引き続きとられるとともに、年齢に関係なく能力に応じて働くことのできる社会を目指す外部労働市場志向の政策にも比重が置かれるようになった。これと同時に、雇用における年齢差別の問題は労働省を超えて取り上げられ始め、経済計画でもその検討が明記されるようになった。その結果、2001年の雇用対策法改正に、労働者の募集及び採用についてその年齢にかかわりなく均等な機会を与える努力義務が盛り込まれ、2007年にはこれが義務化された。

これ知らなくて驚きでした。勉強になります。
でも、リクルートとかではまだ「35才位まで」という記述はまだありましたね。


当初、コメント欄で書かれたとき、また、引っかけかなという疑心はありましたし、引っかかって晒しになってもいいやとも思ったのでしたが、懸念でした。tano13さんのお考えの態度というか、そういうと僭越ですが、とても誠実に思われます。

ありがとうございます。基本的に知識クレクレ厨ですので、うpして下さる方はネ申なわけです。それを誠実と言われると気恥ずかしい。


  逆に例えば⇒萌え理論Blog - パンがなければケーキを食べて、残業代が出なければ帰ればいい

当初のエントリから書き換えられているが、id:finalvent氏の主張は、舛添厚労相は母親を介護したから、イデオロギー云々に関係なく尊敬できる、というものだった。でもそんなの関係ない。桝添氏の人格批判をしているのではなくて*1、ホワイトカラー・エグゼンプション制度について、「家庭だんらん法」に言い換えを指示するという、極めて表層的でその場しのぎの対応を取ったから、批判されているのだ。しかし、finalventはまるでそれが理解できない*2。いわゆる「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」*3ではないが、「残業代が出なければさっさと帰ればいいじゃない」とでもいう態度の表明は、さすがアルファブロガーの余裕である。


 こういう誤解には応答不能です。

「さすがアルファブロガー」とかあたりに嫉妬心がうっすら見えてるような気がします
こういう方との接触というのは気が滅入るでしょうね。自分なんかはアルファブロガーなんかなりたくねー!と思いますが。

ただ、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」という理屈の出し方には賛同出来る部分もあるのです。
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2007/01/post_7251.html

 残業代が支払われないならそこで仕事を止める。労働環境が劣悪ならその職場を辞める。それでいいのではないかと私などは思うのだが、現実にそれらを可能にするためには自由な労働市場が前提になるということかもしれない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E3%83%9B%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%82%B0%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%97%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3#.E6.AD.A3.E7.A2.BA.E6.80.A7.E3.81.AB.E3.81.A4.E3.81.84.E3.81.A6

"「使用者と合意した成果」とはいっても、事実上使用者側が一方的に決める成果基準を労働者側が拒否できるわけも無く、また成果の達成を判断するのも使用者側であるため、” これは職業選択の自由憲法で保障されている以上、甘え以外の何物でもないと思いますが、すべての労働者に適用される制度でないということを忘れていませんか。

ここで言うとこの「仕事がいやなら辞めればいいじゃない」というのは「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」という理屈と同じでしょうという感覚です。

自分は団塊ジュニア世代でして、就職氷河期に就職活動をした世代です。
自分に4人転職した友人がいますが、二人は労働環境が若干良くなり、二人は逆に労働環境が悪くなってます。もちろん懐具合を聞いてる訳じゃありませんが、良くなった二人も給与面では低くなっている様子です。
自分も転職し、以前のきつい環境ではなくなりましたが、給与は人に恥ずかしくて言えるレベルではなくなりました。

オレソース的にはこの10年のうち転職が成功する確率はかなり分が悪い。
そこに、たとえ善意からのアドバイスといえど「仕事がいやなら辞めればいいじゃない」という言葉は受け入れられるものではないです。
自分の感覚では、転職するということは、無職という地獄の釜の上を綱渡りして次の地に移動するもので、かつたどり着いた地が前よりひどい環境である可能性が高い行為なのです。


これはfinalventさんが言うところの土台、オレソースの土台の話です。
finalventさんの土台は推測ながら、「転職なんてものは、ちょっと覚悟を決めれば簡単に出来るよ」的な実体験、「めしのタネはどんな時でもついて回る」という楽観主義、「職がなくてのたれ死にするのも、まあ覚悟してる」的な諦観、のようなものが感じられます。
その土台からなら「仕事がいやなら辞めればいいじゃない」という理屈は理解出来ます。

ただ、それはfinalventさんの処世術としてなら、人それぞれだなとも思うのですが、その土台をベースにして(って言い方ヘンですが)制度設計をされると待ってくれということになります。

人が自由に職を辞められるには「現実にそれらを可能にするためには自由な労働市場が前提になる」ということですが
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20070201/118220/

濱口 そうなんです。皆さん、誤解しているんですが、そもそも米国には労働時間規制がありません。何時間以上働かせてはいけないというものはない。だから「36協定」みたいなものもない。ホワイトカラーとブルーカラーの違いもない。単に週に40時間を超えたら、50%の割り増し手当てを払えという規定があるだけです。健康も命も自己責任の国ですから。嫌ならさっさと辞めるだけの話です。逆に差別的でない限り、理由がなくても自由に解雇できる。米国はそういうふうに物事が回っている国です。


このアメリカの自由っぷりにちょっと驚いて、ではアメリカでは過労死などという状況は起こりえないのか?と思って「過労死 アメリカ」で検索して、以下の記事を見つけました。
http://homepage2.nifty.com/karousirenrakukai/22-02=karhoshi&karojisatsunonichibeihikaku(morioka).htm

  今日、アメリカのホワイトカラーにとって、オフィスはまるで途上国にある多国籍企業のスウェットショップ(搾取工場)のようになっている。そのことを明らかにしたのが、ジル・A・フレイザー『窒息するオフィス 仕事に強迫されるアメリカ人』(岩波書店、2003年、原題はWhite-Collar Sweatshop)である。この本によれば、アメリカの全労働者の12%、約1,500万人は週に49時間から59時間働いている。全労働者の 8.8%、約1,100万人は週60時間以上働いている。
  インテルに勤める2人の小学生の父親であるシングルの男性は、子どもに朝食を食べさせて7時頃には出勤し、いったん5時に帰り、夕食後子どもたちを寝かせるとオフィスに戻って夜中の1時頃まで働く。金融業界では新入社員に家に帰って寝ることができない場合にそなえて、着替え一式と歯ブラシを職場に置いておくよう指導している企業もある。
  問題は労働時間の長さだけではない。レイオフで人員削減が絶えず行われるなかで、仕事量が増え、ジョブストレスが強まって、肉体的、精神的な健康障害が深刻になり、心臓発作、ストレス死、自殺などが広がってきている。  (もりおかこうじ 関西大学

自由な労働市場であるアメリカでも、過労死は起きている。
このアメリカの過労死を食い止めるためには、さらに自由な労働市場にするべきなんでしょうか?
人は自由に辞める権利はある。でも、いやでもつらくても辞めることが出来ない心理状況に追い込まれる人は必ず一定数いることを前提に制度設計はされるべきなんではないでしょうか?

「仕事がいやなら辞めればいいじゃない」という理屈が正しいのなら、そう思わない人にそれを奨励していく運動ぐらいは必要かと思います。

職業選択の自由憲法で保障されています。責任がとか、周りに迷惑がとかを気にしてはいけません。あなたの健康を第一に考えましょう。雇用主の不当な要求に屈せず、辞表を書く勇気を! by安部晋三
というようなポスターを日本中に貼るとか・・・というのは冗談が過ぎますが
急に思いついたので、すみません。

まあ、finalventさんは「労働時間の上限の規制は必要」とお考えと思いますがしいて言わせてもらいました。


ですが、私の認識では、問題は「流通」にあると理解しています。もちろん、「流通」なのかということや、R30さんが否定した他の意見を評価する必要があります。

 なので、

ホワエグが「「企画、立案、研究、調査、分析」の5業務に限定」で「年収900万円以上」の人たちに適用されてどんなふうに「飲食」「商業」「生活支援サービス」業界の生産性の向上になるのか、よく分からんです。

 については、やはり土台の了解が先行します。


次回がありましたら、その土台をお教え下さい。


ただ、ちょっとニヒリズムっぽいのですが、グローバル化が進めば、実際には、現在ホワエグを騒いでいる人達が特権階級のようになり、さらにひどい状態に置かれている人の問題が押しつぶすだろうと思います。

NHK特集のの総務や経理アウトソーシング、見たわけではないですがネットで見るにすごい時代になってしまったなと思いました。
この問題は、ホワエグを限定全解除して導入しても、ちょっと解決不可能なんでは?と思ってます。
ホワエグで個々の努力を期待するより、人民元の固定相場をやめさせるくらいしか手がないんでは?とシロウト考えで思ってます。
それで、やり過ごせたとしても、今度はインド、アフリカ・・・・
finalventさんのおっしゃる通りになっていくのかも知れません。


萌え理論Blogさん関連から、ブクマや話題がバーっと広がってるのを見ましてfinalventさんには心労をおかけした対談だったなと申し訳なく思っています。
ここから先を期待するのであれば、この話題はメールでのやりとりのほうがよいのではないかと思いました。
まあ、これから政局も大きく変わりそうですし、これ以上finalventさんのリソースを私個人のために割いて頂くのも申し訳ないので、こちらもこれで筆を置かせて頂きます。
ありがとうございました。

finalventさんとの対談て言うには格が違いすぎる

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20070912/1189634875
お答えありがとうございます

時給に直したら、低い方に賃金が平均化されるから、同じようなものになるという意味でしょうか?

 この関連の再疑問ですが、私のほうで、これは単純な意味で、理解できませんでした。


これは、言葉をかえれば、賃金も市場原理が働いて、補償や雇用期間のメリットも換金したとして、時給で計算すれば正規も非正規も同じになるのか?ということです。
もちろん、正規でも賃金には差があるし、同じ仕事にかける労働時間も違うのは分かってますが、正規雇用の全体での平均と、非正規雇用での全体の平均でという話です。

かみ合ってないかもですね?

ただ、「原理的には労働者全体で正規雇用と非正規雇用と同じように扱えればいいのではないか。」ということと「正規雇用と非正規雇用の待遇が同じであることが保証されないで、残業代なしになるから問題なのではないでしょうか?」は同じことではないでしょうか。同じ意見だというふうに思えます。

どういうふうに同じか、かみ砕いて説明頂けますか?とシンプルに聞いたほうがよかったようです

 この議論では、ホワイトカラー・エグゼンプションはてなダイアリーキーワード解説のように残業代ゼロという前提に進んでいきそうですが、どうも、そこには違和感があります。

 ということで、tano13さんは、これをお読みなり、ホワイトカラー・エグゼンプションの理解が変わりませんか?

 これ⇒finalventの日記 - どうもな

自分もはてなキーワードの解説は[これはひどい]レベルだと思います。
知識ベースは今回ウィキペディアです。
はてなキーワードレベルのうんこちゃんと思われてるなら少し悲しいです。
まあfinalventさんからしてみれば、たいして違いは無いかもしれませんが

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20070913/1189638522

 本来、ホワイトカラー・エグゼンプションというのは月俸制とか年俸制を選択できるようにするために、労働基準法37条の適用を除外するということなのです。ここは非常に重要なポイントです。あくまで時間外手当の適用除外であって、無制限の長時間労働を容認するような労働時間規制の撤廃ではないのです。


ここで理解が変わった点といえば、労働基準法を見て、いままでって総労働時間の明確な規制ってなかったんだな。月100時間は絶対ダメ!みたいな規定はないんだという点。

それの歯止めの代わりが残業代だったわけですよね。
ホワエグはその代わり、月80時間以上は医師の面接指導があると。

ただ、サービス残業当たり前で守られてなかったものがホワエグでは徹底されるのか?という不信感はあります。

finalventさんは純粋に法案としての妥当性を議論したい。ということであればそもそも法律がきちんと守られるのか?という不信感をベースにした議論は成り立たないのでしょうね。



1、ホワイトカラー・エグゼンプションがなぜ提起されたか?

 この背景は、グローバル化するなかで日本人のサービス業の生産性の低下の問題があります。この問題はあまり議論されないように思われます。

「サービス業の生産性」で検索かけてこういう記事を見つけました。
拝啓FT様 サービス業の生産性について
http://shinta.tea-nifty.com/nikki/2006/12/service_industr_b259.html

 ジョンキエール氏はサービス産業の労働生産性が低いことの証明として「銀行の窓口」を挙げているが、これは必ずしも正鵠を射ていない。日本の労働生産性が先進七カ国中最低となっているのは、確かに全産業中労働投入量の58%を占めるサービス産業(第三次産業)の労働生産性が全産業より16%も低いせいだが、金融サービス業自体の労働生産性は、国内平均値よりも高い。やや古いデータだが、2001年の産業構造審議会のこちらのデータ(PDF)の、7ページ左下のグラフを見れば分かる。金融業は、全産業の平均以上のところにいる。

 これに対し、労働生産性が著しく低いのは、「飲食」「商業」「生活支援サービス」の3つだ。日本の労働生産性統計の足を思いっきり引っ張っているのは、このうち第三次産業全体の労働投入量(労働者数×平均勤務時間)の34.7%と、3分の1以上を占める「商業(卸売業、小売業)」である(ちなみに、飲食業の労働投入量は7.0%、生活支援サービス(介護、保育)のそれは3%弱)。ちなみに、僕の手元にあるデータによれば、小売業の労働生産性は国内全産業平均の52%、卸売業のそれは59%しかない。

 さらに細かく見ていけば、小売業の中でもっとも労働投入量の多いサブセクター、それは家族経営商店(全小売業の55%)である(こちらのデータ(PDF)の9 ページ上の図参照)。僕の手元にあるデータによれば、家族経営商店の労働生産性は、ただでさえ低い国内の小売業の労働生産性平均に比べて、さらに40%も低い。要するに、地方のシャッター通りの商店街にある、商売をやってるのかやってないのかも分からないような無数のお店が、日本の第三次産業労働生産性を思いっきり引き下げてるってこった。詳しくはこのブログの過去エントリ「郊外出店規制じゃなくて、中心市街地商店廃業強化が必要じゃね?」をどうぞ。


ちょっと検索して見つけてきただけなので、この点深い議論が出来るわけではないですが、「これに対し、労働生産性が著しく低いのは、「飲食」「商業」「生活支援サービス」の3つだ。」というのであれば、
ホワエグが「「企画、立案、研究、調査、分析」の5業務に限定」で「年収900万円以上」の人たちに適用されてどんなふうに「飲食」「商業」「生活支援サービス」業界の生産性の向上になるのか、よく分からんです。


もともとこの対談は知識レベルが違い過ぎて、finalventさんに得るものは無く、得るものはこちらだけというものなのでお付き合い頂き恐縮です。
勉強させて頂きました。


追記資料
http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/kuma/pdf/k_0703d.pdf

返信への返信

お答え頂きありがとうございます。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20070912/1189634875

ただ、「原理的には労働者全体で正規雇用と非正規雇用と同じように扱えればいいのではないか。」ということと「正規雇用と非正規雇用の待遇が同じであることが保証されないで、残業代なしになるから問題なのではないでしょうか?」は同じことではないでしょうか。同じ意見だというふうに思えます。

おおざっぱですが、

正規雇用:厚生年金/雇用、健康保険有り/終身雇用/賃金高い/労働時間長い
正規雇用国民年金/雇用、健康保険無し/短期雇用/賃金低い/労働時間短い
(年金、保険は法律上どちらも適用されますが、現状の話として)

こんなふうに認識しています。
これを同じように扱うということは

全員:統合年金/雇用保険、健康保険有り/雇用期間不定/賃金平均/労働時間平均

ということになるかと思います。
これが残業代なしだけにしたら

正規雇用:厚生年金/雇用、健康保険有り/終身雇用/賃金低下/労働時間長い
正規雇用国民年金/雇用、健康保険無し/短期雇用/賃金低い/労働時間短い

ということで、賃金が低下するだけと思うのですが
どのように同じだと言われているのか分かりません。
時給に直したら、低い方に賃金が平均化されるから、同じようなものになるという意味でしょうか?

1、ホワイトカラー・エグゼンプションがなぜ提起されたかという点の疑問および了解がなかった。

「なかった」ということは言及しなさいことで。

ウィキペディアレベルの知識で申し訳ないですが、「なぜ提起されたか」という疑問。
これは裁量労働制という似たような制度があるのになぜ提起されたかということにもなると思うのですけど、それは裁量労働制に不備があるからということなのでしょう。
どういう不備かよく分からないですが、ホワエグとの違いを見て、違いはいろいろありますが、

裁量労働制労働組合の了承が必要/残業代は支払われる
ホワエグ:対象労働者の同意を得ること

このあたりかな?と思いました。
裁量労働制は裁量と言いながら残業代は支払われる。
あと、労働組合の了承というのはハードルが高くて導入しにくい。
ゆえにホワエグの提起になったのかな、と思います。

ホワエグの理念である「賃金は時間でなく成果で決められるべき」という考え方は正しいと思います。
が、成果とはどうやって測るものなのか、誰が測るものなのか。
結局、経営者の胸一つで決まるようになるのではないでしょうか?

浅い考えかもしれませんが、この程度でよろしいでしょうか?

2、「finalventさんは職を辞めることに恐怖心はないのでしょうか?」ないといったら嘘があるかなという感じはありますが、基本的にないです。

なるほど、「基本的にないです」と言い切れる方なら、「給料が下がるかも?」ぐらいで大騒ぎしている人たちはよく分からない存在ですね。
理解できました。ありがとうございます。

finalventさんへのホワエグについての質問

ここは、個人的なうだうだ鬱日記だったので非公開にしてましたが
finalventさんがお付き合い頂けるとのことなので、公開用にしました。

話の流れはこちらで
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20070912/1189555454

まとまった見解と言われるほどのモノではないので質問です
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2007/01/post_7251.html

ネットなどを見ると、ホワイトカラー・エグゼンプション導入で残業代が支払われなくなるから問題なのだ、または、残業代なしで過剰労働になるというふうでもあった。
 残業代が支払われないならそこで仕事を止める。労働環境が劣悪ならその職場を辞める。それでいいのではないかと私などは思うのだが、現実にそれらを可能にするためには自由な労働市場が前提になるということかもしれない。原理的には労働者全体で正規雇用と非正規雇用と同じように扱えればいいのではないか。


正規雇用と非正規雇用の待遇が同じであることが保証されないで、残業代なしになるから問題なのではないでしょうか?
正規雇用から離れると、非正規雇用にしか道はないかもしれない。そういう恐怖心がある中でノルマアップを迫られれば断れる人は多くないと思うのですが。
finalventさんは職を辞めることに恐怖心はないのでしょうか?だとするとこの問題がよくわからないのもうなずけます。恐怖心があるのでしたら、よくわからないというのがやっぱり自分には分かりません。

極東ブログや、日記のほうはたびたび読ませて頂いてまして、腑に落ちることも多く、時にはレベルが高くて分からないこともありましたが、この問題がわからないというのは何なのだろう?と疑問に思った次第です。

これからの政局からして立てたいエントリが多々あると思いますが、ご教授頂ければ幸いです。